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おこのみ屋ノベル堂

飛牙マサラのオリジナル小説ブログです

第一章 父からの贈り物(3)

第一章 父からの贈り物

午後になると、店には幾人か来客がやって来て、午前中とはまったく違う意味で忙しく過ぎていった。

 来客が一段落したところでルチルがお茶でも入れようかとふと思い立った時、何の気なしに机の上を見ると何時のまにあったのだろうか、手のひら大の小包が一つ載っていた。

「小包? いつの間に……」

 小包にはカードが付いており、差出人は達筆な文字でルチルの義理の母マルガレーテ=クォーツェンと書かれていた。

お義母様(マーマ)

 ということはまたお義母様(マーマ)の使い魔が持ってきたのか。

 あいつらはどうも神出鬼没だからなあ。

 メグの使い魔たちはどれも優秀だが、悪戯好きであり、よくこういうことをするのである。

 ちなみにルチルには使い魔はいない。

 それなりの位にはあったので魔導師時代に持とうと思えば持てたが、必要性を感じなかったため持たなかった。

 それにしても仕事に追われていたとは言え、その気配を消す辺り、流石義母の使い魔と言うべきだろう。

 ルチルが訝しんでもその気配は今も感じず、小包には消えかけた魔法の香りが僅かに残っていた。

 なるほど姿消しの魔法か。

 気配すら感じなかったのはそのためらしい。

 ふむまあ、このくらいならあの義母(はは)なら簡単にこなしてしまうからな。

 もとより魔術に関してはルチルの師匠にもあたり、所詮技量においては敵うことはない相手だ。

 とりあえず疑問は捨てて、ルチルが手紙を開くとそこには懐かしい文字が躍る。手紙には簡単にあなたの誕生日祝いにお父様からとある。

お父様(パーパ)から?」

 それは異な事だ。父はとっくの昔に他界しており、実の母は更に前に亡くなっている。

 二人とも偉大なる魔導師として有名だったが、それ故かどちらも短命だった。

「それにしても誕生日か、そう言えば忘れていた」

 日常の騒がしさに忙殺されていて、ルチルはすっかり自分の誕生日のことなど忘却の彼方だった。

 忘れないでいてくれたのか。

 それが嬉しくてルチルは少し浮かれつつ包装紙を解いていく。

 すると、小さな、しかし豪奢な箱が現れる。自分よりよっぽど義母の方が似合うだろうと思われる美しい宝箱だった。

「? 何だろう?」

 訝しがりながらもルチルは好奇心もあって小さな箱を開けてみる。

 義母がわざわざ自分が十八になるのを待っていた贈り物でもあり、亡き父からと言うのにも興味が湧いたのだ。

 箱を暫くじっと観察してから、

「鍵もないのか」

と呟いた。

 満遍なく見ても箱に特に封印魔術がかかっているようでもなく、だからといって箱そのものにおかしな細工はされてはいないようだった。

 そっと蓋を開ければ、白い布で覆われている包みが一つが現れた。

 丁寧にくるまれていた布を取っていくと、それほど大きなものではないことが分かる。

 やがてルチルの手がその正体を確認するとふと止まった。

「これは……」

 箱に大事そうにしまわれていたのは金色に光り輝く首飾りが一つ。

 それは一見すれば見事な金色の宝石が一つ飾られている他は金細工で彩られただけの至ってシンプルな装飾品であったが、よくよく見ればかなり趣向を凝らした細工がそこかしこに施されており、素人目から見てもとても見事なものであった。

 その素晴らしさは普段装飾品に興味がないルチルですらも珍しく目を見張って暫くそれに見惚れていたほどだった。

「それにしてもこの宝石は随分大きなものだな」

 見れば見るほど首飾りの宝石は立派なもので、輝きがまるで太陽のごとく、だ。気のせいかもしれないが、太陽に反射して、ではなく自らが光を放っているかのように見える。

 これは普通とは思えない宝石だが。

 普通ではない……?

 ふとその正体にルチルは思い当たり、

「これはまさか―!」

 そう呟いた瞬間、宝石が耀き出し、ルチルのいた場所を閃光が包み込んだ。

 あまりの眩さにルチルは首飾りを放り出してしまうが、そんなことを構ってる余裕は無論ない。

 が、首飾りの落ちる音は何時までも聞こえては来なかった。変わりに聞こえたのはまるで違うもの。

「随分とまた乱暴だな」

 ルチルの耳にそう聞き覚えのない声が届き、顔を上げると、そこには見慣れぬ男が一人立っていた。

 金色(こんじき)の髪、金色の眼、全身を金で彩られたような美丈夫で、まるで首飾りのあの大きな宝石そのものようにすら思える。

「誰だ、貴様は?」

 ルチルは迷うことなく誰何するが、男は暫し沈黙してから口を開いた。

「……お前が我が主人(あるじ)になるべき奴か。願いを言うがいい」

 願いだ? 宝石か現れた?

 なんてことだ、やはり宝石の魔神か! だとしたら私としたことが失敗したな。

 迂闊にもそんなものに何も考えず触れてしまうとは―!

 父と義母からの贈り物というのもあって、自分らしくない失敗をしてしまったらしい。

 宝石というものにはもとより魔力が宿っている。故に魔導師たちは己たちの魔力を貯め込むためにその中に封じたり、あるいは護りとしておく。

 だが、宝石には元々魔力があると言ったように稀にそれ自体が恐ろしく魔力を持つものがある。

 その中でも最も希少価値も高く、また魔力を有するものが住まう宝石である。それの最たるものが魔神と呼ばれており、それこそこの世界において魔導師が探求するもの一つでもある。

 尤も大概が曰く付きでもあるから、そう滅多にお目にかかれるものではないが。

 しかしそこに今存在しているのは紛れもなく本物であった。魔導師休業中の身でもそのくらいは直ぐに理解した。

 魔導師としてならば誠に喜ばしいことだが、今のルチルにそれを喜べるわけもない。

「願いを述べよ、娘」

 魔神がなおも言うが、ルチルには答えるものはない。魔導師を辞めた身で魔神を手に入れたとてどうなるというのか。

「悪いが、お前に頼む願いなんてない。せいぜい私が平穏無事で暮らせるくらいだ」

 ルチルは本心からそう言い、更に言葉を続けた。

「今さら、魔術だの奇術だのに興味はないんだ。と言うわけだからお帰り願おうか」

 誤って魔神を召喚したとしても魔術師が契約を望まねばそれで終わりである。

 だからルチルは安堵していた。

 何ともはやおかしな話ではあるが、契約を成就するには段階というものがある。

 召喚に相応しいときと場所を選び、そこに至までに必要な行いを何一つ違えることなく済ませ、そして魔法陣を描き、そこの中心に宝石を置いて召喚び出すのが基本である。

 つまりはこんな召喚()び出し方ではかなりそれをすっ飛ばしているから成り立たないのだ。生半可のものであれば幸運として契約を成すだろうが、ルチルにはその意志がない。

 何事も約束事の多い魔術だが、今回の場合にはそれのおかげで助かったということになる―はずだった、次の言葉がなければ。

「ふむ、なるほど。だが、それでもお前が我の主人に変わりはない。契約は既に成されているからな」

 魔神の発した言葉にルチルは呆然とした。

 契約が成り立っていないはずなのに成り立っているだと?

「ちょっと待て。お前の主人が私? 契約が成立している? だからこんな契約は成り立たないぞ。そんなこと魔神ならば分かっているはずだろう。そもそも私の方は契約なんてした覚えは……」

 ルチルが混乱しながらも魔神を諭そうとするが、魔神は一向に退く様子を見せなかった。

「残念ながらお前になくとも我にはある。だいたい、お前はどう見ても魔術師だ。お前の持つものからは(のが)れられまい?」

 魔神はルチルの反論などものともせずにはっきりと断定する。

「それは昔の話だ。今は魔術師ではない」

 まさかここまで来てまで己の職業の説明をせねばならないとは思わなかったとルチルは嘆く。

「では何だと?」

 一応は聞いてやろうという態度の魔神に頭を抱えながら答えた。

「……今は薬師を生業にしている」

 取り敢えずそのくらいは聞いてくれと思いながら言葉を続ける。

「とりあえずだ、私は薬師として地味にやっていきたいのであって、派手な魔術師なんてお断りなんだ」

 不機嫌そうに眉を(ひそ)め、魔神はルチルを睨む。

「それでは我の真価が発揮できぬ」

 いかにも不満な態度を示されてもルチルにとっては迷惑以外の何ものでもない。

「そんなのはお前の都合だろう? 私には関係ない。温和しく宝石に戻ってくれ」

 ルチルは一刻も早くこの馬鹿馬鹿しい遣り取りを終わらせたくてそう言うが、魔神の方は聞こうともしない。

「まあよい。さて、我が名は……ヘリオドール、覚えておくがよい」

「全然良くないだろうが! だから聞け! 今はお前の名を聞いてるのではなくて!」

 そう怒鳴り返しながらもルチルは冷静に相手を観察した。

 ヘリオドール、なるほど太陽の贈り物(ヘリオドール)、か。確かに名の通りの金色だな。

 ルチルが宝石の魔神を目にするのは記憶にある限りは初めてである。

 書物によれば宝石の魔神というのは己が宝石と同じ色合いをしているというから間違いはないらしい。

 ふむ、それにしても己が名をきちんと名乗るのは礼儀正しい。それについては好感が持てる。

 ルチルは状況を無視してそう思う。何にしろ彼女の義母は礼儀に煩いので自然彼女もそれに習って礼儀には煩いのだ。

「さて、我が名を言ったのだからお前も答えよ。それが礼儀と言うものだろう?」

「あ? ああ、私の名はルチル、ルチレイテッド=クォーツェンだ」

 この場合、相手の男の言うのが常識で言うなら正しいこともあって、また相手の気迫に飲まれたせいもあり、ルチルは思わず馬鹿正直に名乗っていた。

 彼女の名を聞いた瞬間、ヘリオドールの眼が何やら光ったが、当惑しているルチルがそれに気が付くことはなかった。

 そうして間抜けにも名乗り終えてからルチルはハッと気が付く。

「いや、違う、我らは名乗り合いをしている場合ではないのだ。この状態をお義母様(マーマ)に尋ねなくてはならん」

 ルチルは魔神と押し問答を繰り返すよりもそもそも首飾りの贈り主たる義母にことの成り行きを説明して貰えばよいと気が付いたのだ。

 これは異常事態だ、早く旅の用意をせねば。

 そう思い、ルチルが急いで自室へ向かおうとした途端、いきなり部屋の扉は閉ざされ、かき消えていく。

「! 貴様、何をする?」

 魔術干渉? ヤツは何も唱えていなかったはずなのにか?

 いや、気が付かなかっただけかも知れない。相手は魔神なのだから。

 少なくともルチルには感知すること出来ない魔術なのは間違いなかった。

 今までにこんなことはなかった。

 正直ルチルは驚愕していた。

 驕るわけではないが、ルチルは己の魔術に関することはそれなりだと自負はしていた。こと、魔術を手繰るのは得意のはずだったのだが、今はそれが成し得ていない。

 文字通り扉は消え、否、どちらかと言えばこれは結界、つまりヘリオドールがしたことは部屋ごとこの空間を切り取ってしまったようなものだから、ルチルは彼女の思いを余所にヘリオドールと二人きりになってしまったわけである。

「なに、お前が逃げる道がないようにしただけだから気にすることはない」

 さらりと言ってのけるが、とんでもないことである。何のためにそんなことをするのかなど分からないが、ルチルにしてみれば男のしでかした行為は怒りの呼び水としかなっていない。

「まったくもって言葉どおりで痛み入る!」

 ルチルは激昂するままにヘリオドールを殴ろうとするが、その手はあっさりと捕まえられていた。

 そんなことでめげるかとばかりにルチルはそのまま反射的に反対の手を振りかざした手をまたもやあっさり捕らえ、ヘリオドールはそのまま彼女を壁に押し当てた。その力たるや恐ろしいほど強く、とてもじゃないがルチルに振り解けるものではない。

「離せ! お前、私を仮にも主人とか呼ぶのなら今すぐ離せ!」

 自由を奪われたことに抗議をするものの、相手はニヤリと笑うだけだった。

「これは異な事を。実質、お前が拒んでいるだろう?」

「ぐ…」

 それを言われてはルチルに確かに反論の余地はない。真っ向から主人と呼ぶなと言ったのはルチル自身に他ならない。

「そもそも中途半端は我の主義ではないのでな。ならば実質的に叶うものにすればいい」

 そう言いながらルチルの顔へと己の顔を近付けていく。

「それとこの体勢と何の関係がある?」

「なに、契約の執行、という建前だな」

「な―っ!」

 ルチルはそれ以上何も言うことは出来なかった、いや、言いたくても言わせてはもらえないだけだ。何しろルチルの唇はヘリオドールの唇が既に塞いでしまっていたのだから。

 当然、ルチルはヘリオドールのこの暴挙にあらん限りの力で逃れようとするが、それはまったく意味を成さなかった。

 ヘリオドールがルチルに与える口づけは深く長く、あっという間に彼女の思考を真っ白にしていってしまう。

 当然だが、ルチルは異性からの口づけなどという行為自体が初めてである。

 どうにも何が起きているかすら考えることは出来ず、ただ無防備にそれを受け入れる以外に術はなく、ルチルは最早ヘリオドールの為すがままになっていた。

 やがてルチルの体から力が完全に抜け落ちた頃、ようやくヘリオドールは彼女の唇を解放した。しかしルチルは既に体の力が抜け落ちていたので、ずるずると壁にもたれかかるようにその場に崩れ落ちていた。

 ヘリオドールはそんなことはお構いなしとばかりに次いでルチルが着ているドレスの胸のボタンをあっという間に外していき、彼女の胸元を大きく開き、その胸に唇を寄せていく。

「汝、ルチレイテッド・クォーツェンに我が刻印を刻まん」

「え?」

 間抜けにもルチルが言えた言葉はそれだけだった。目前の男が何をしようというのかを理解するためにもぼーっとする頭を何とか元に戻そうと必死になるが、ヘリオドールの言葉はやまない。

「汝が我と共にあり、我が汝と共にあり」

「何を……している?」

 漸くそれだけの言葉を紡いだが、相手はまったく意に介してはいない。それどころかヘリオドールの言葉はまだ続いているが、今度は理解出来ない。

 頭がぼやけているせいなのか、特殊な言葉なのか、ルチルには男の言葉としては聞こえてこない。

 こいつはだからいったい何をしている?

 胸元への口づけも止むことはなく、言葉ではない言葉が続けば続くほどにヘリオドールの触れた部分がまるで炎を受けたかのように熱くなり、輝いていく。

 あ、つい――!

 不思議と痛みも不快感もないが、熱さだけはルチルの全身を駆け巡るように貫いていく。

「ルチルよ、我のすべてを汝がすべてとして受け入れよ」

 辛うじて言葉として聞こえてきた言葉は受け入れられるものではなった。

「く、我は受け……入れん」

 ルチルのそれは否定の言葉であるもの。が、そう答えてからルチルはしまったと思う。今のは契約の際に告げるべき言葉ではなかったのだ。

 否定するならば受け入れん、ではなく、受け入れぬでなくてはならない。どちらとも取れる言葉は使ってはならないし、特に口上を述べている場合には当然言葉の戒律がある。



 ―魔術を紡ぐは言葉、言を発するならば肯定も否定も曖昧ではならぬ、言葉は形成すものであるが故に―



 魔術師の心得、か。

 今さらそれを思い出し、ルチルは己が単純すぎるミスをしでかした、それも取り返しは付かない過ちをと唸る。

 本来であればしないミスを連続でしまっている自分に呆れていた。

 ちらりと見ればヘリオドールはしてやったりという顔を隠さない。

 こいつは端からそれを狙っていたな!

 瞬間、二人の体を同じ光が包み込み、ルチルの胸には見慣れぬ紋章が、ヘリオドールの方にはよく見慣れたルチルの紋章が刻まれていた。

「我らが契約は成就されり。我と汝が胸にありしわが紋章をもて」

 朗々とヘリオドールは告げ、ルチルが胸の方へと恐る恐る見遣れば気のせいではなくやはり紋章が刻まれている。

 金色に輝ける太陽を思わせる模様で、こんな状態ではなければ見事と思ったことだろう。

「……これ、は?」

 分かっていてもルチルは聞かずにはいられなかった。

「それが我が刻印。お前が我のものである証だな。そして我が胸にはお前の紋章がある。これで我はお前のものということだ」

「何だ、それ」

 脱力しながらルチルは想わず相手に突っ込んでいた。しかし相手は悪びれた様子も見せずに当然という態度で答えてくる。

「お前が我を拒むのが悪いのだ。これでお前は我から離れることは不可能となった。無論、逆もまた然りだが」

 その言葉に一瞬呆然としてからルチルは直ぐに我に返って抗議をする。

「何を勝手に! いったい何のつもりだ?!」

「我はお前が気に入った。お前こそが我の花嫁になるに相応しい」

 またもや聞き慣れぬ言葉を吐く魔神を凝視しながらルチルは問う。

「私がお前の花……嫁だと?」

 ヘリオドールはそうだと悠然と答える。

「そもそもお前の父が約定したのだ、お前を主人たるとするならば我が花嫁にするがよいと」

お父様(パーパ)が?」

 その言葉で急速に思い出される父との思い出が脳裏に浮かぶ。



―お前が太陽を欲するならこれを開けるといい。きっと幸せになれるから―



 確か父はそんなことを言っていた。

「お前が太陽を……手に入れたいなら」

 そう、確かに父はそう言った。前後はまるで思い出せないのにそこだけが鮮明に思い出されていた。

「然り。我こそが太陽そのものなのだから」

 呆然とするルチルにヘリオドールはもう一度確かめるように唇を落とし、

「我が主人、ルチルよ、我は汝と共にあり」

 その瞬間、二人を金色の光が包み込んで照らし出し、ルチルの灰色の髪がまるで黄金のように輝いていた。

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第一章 父からの贈り物(2)

第一章 父からの贈り物


 ルチルことルチレイテッド=クォーツェンはこのラウリオン大陸随一の魔術大国セレン、ブルースピネルの街で暮らしている。
 セレンは魔術大国の名を持つだけあって、大陸においては他に追随を許さぬくらいに魔術が発達している。セレンには王都の他に五大都市と呼ばれるものがあり、それぞれに特色があってなかなかに面白い。
 ルチルの住むブルースピネルはセレンの王都ではないが五大都市の一つであり、王都に負けずなかなかに栄えている街だ。名に青という文字を持っていることからも分かるだろうが、巨大な港を持っている港町である。
 五大都市の中で最も海洋貿易が盛んに行われており、海を隔てた国との交流が多い。そのため自国と異国の文化が混在し、様々な人やものが行き交う所でもある。
 ルチルがここを選んだのは王都よりは身を潜めることが容易だと考えてのことだ。人の行き交いが多ければ、人一人が隠れるのは普通であれば確かに簡単だったろう。
 が、ルチルの場合、その目論見はものの見事に崩れてしまっているのは言うまでもない。せめてもの救いは市場や中心地からは遠い街外れに店を構えていたことくらいか。
 ルチルの店は街からはかなり外れた場所に建てらている。住居と兼用で使っているが、規模としては独り暮らしには少々広い程度の大きさである。
 この場所にした理由としては街には有数の薬師がいることと、海に近い場所だと薬草畑を維持しにくいことがあるが、やはり人目を避けたかったことが一番に上げられる。
 ルチルは前述したとおり魔術師を辞めている、正確に言うならば休業中となるわけだが。
 確かに魔術師として修行もしてきており、また十分な能力も持っている。
 だが、ある事件を境にそれを一切合切捨てようと決心したのだ。それを義母に話すも、けんもほろろに断られ、何とか休暇を取ることは許可されたものの、彼女の真の願いは叶わずじまいというわけである。
 お陰様で毎日毎日、金にならない来客だけが大入りとなってる次第だ。
お義母様(マーマ)は何を考えているのやら…」
 思わずそう独りごちずにはいられない。
 私としては静かに暮らしたいだけなんだが。
 そう望むのが間違いだと言うことなのか。
 まったくため息ばかりが増えていくのは困りものだ。
 気を取り直して仕事をこなすと決め、ルチルは薬棚に向かう。
 少ないとはいえ、薬師としてのルチルに仕事の依頼はきちんとある。街から遠いこともあり、薬師という存在は近所の人間にはとても有難いらしい。常連の客には胡散臭い連中がやって来るのが困りものとはよく言われるが、それについては愛想笑いで誤魔化すほかない。
 仕事はきちんとこなさねばな。
 ルチルはいつものように薬棚から手早く必要なものを取り出し、机の上に並べていく。
 毎回頼まれるものは仕事としては些細だが、家庭には必要な薬ばかりだから手を抜くような真似は決してしない。悪辣な薬師だと結構雑多なことをするので間違った調合など多いらしい。
 本来必要なものを入れなかったり、余分なものを入れてしまったりなどトラブルが絶えないと聞く。
 それは薬を殺してしまうも同然だとルチルは思う。
 薬は上手使えば役には立つが、間違えれば恐ろしい毒にもなる。
 そんな当たり前の心構えを捨ててしまうような輩がいることがルチルの商売を難しくしている。
 儲けるなとは言わないが、最低限のルールくらいは守れとルチルは思う。
 尤も中途半端な立場の自分が何を言うとも魔導師たちと同じく薬師たちにも何も通じないのだが。
 魔導師の称号を捨てられない薬師の立場は微妙極まりない。薬師にしてみれば魔導師は呪いで誤魔化す輩であり、魔導師にしてみれば魔導を極めることの学問の一つにすぎないものを生業としている連中だと馬鹿にしているのだ。まさに水と油、相容れない者同士である。
 よってルチルのような曖昧な存在は両者から疎まれることとなる。
 まったく魔導師にしろ、薬師にしろ、ルチルには面倒な相手であることは疑いない。
「さて、愚痴っていても仕事は終わらないからな」
 そう言うと、ルチルは手早く仕事へと意識を移し、頼まれている薬を作り上げていく。
 慎重に薬草などを計り、適量に調整していく過程は彼女にはことのほか楽しいので、手を抜く輩の行いは理解しがたい。
「ラブルさんの風邪薬っと」
 出来上がった薬を薬瓶や袋に入れ、さらに薬の名前は勿論、依頼主の名前、それに作り主であるルチルの名前を書き記していく。宣伝の意味もあるが、何よりも仕事の責任を持つためにそうしている。
 お陰様でルチルの店は少しずつではあるが、流行りつつある。一度買ってくれた客が戻って来てくれるのもあるし、またその客が宣伝してくれたりもある。少々愛想はないが、いい薬師だと。
 風評と言うものは商売には大事なものだ。それによって商いの善し悪しが左右されることも少なくはない。
 ルチルはこの土地に新しく移り住んだ者で、言わば余所者という位置にある。ブルースピネルは辺境の地ではないので、あからさまな差別はないが、それでもやはり余所から来たものが新しく商売をするとなればそれなりの障害はある。
 例えば商売するための土地の取得、例えば顧客の獲得。
 些細といえば些細、多大と言えば多大な悩みがどうしてもある。
 それでもルチルは慣れ親しんだ土地ではなく、新しいこの場所で生業を興すことを選んだ。
 何もかも捨て去って新しくやり直したかったのだ。
 逃げと言わば言え、愚か者よと笑いたければ笑え。
 何と言われようがそれが彼女の本音。
 朝の騒動もどうやら片付いたらしい。扉の向こうが静かになっていた。
 ガートルード、今日は早めに切り上げたか。
 ホッとしながら薬の調合を続けた。
 よく頼まれがちな薬を少し余分に作り、やって来た客が求める薬を手に入れられるようにと念入りに準備していく。
 医師の処方箋を持っていればそれを基にするし、そうでなくても簡単に問診を行ってルチルは薬を調合する。
 元魔導師と言うこともあってルチルは多少の医療知識は持ち合わせていることが薬師になるには幸いした。
 お陰様で後発でありながら、それなりに稼ぎを得られるようになるまでと蓄えていた貯金を食い潰し切ることはなかった。
 だがルチルはそれに関しては皮肉と思わないでもない。
 結局、魔導師という枠からは外れてはいないのではないかと自問自答する。
 ガートルードの言うとおり、スパッと捨てられればこれほど楽なこともあるまいに。
 と同時に本当に他の生き方なぞ自分に出来るのだろうかとも思う。
 それでもやってみるしかないのだ、納得するまで。
 そう自分で決めたのだから。


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第一章 父からの贈り物(1)

第一章 父からの贈り物


 「ルチレイテッド=クォーツェン、いざ尋常にわたくしと勝負なさいませ!」
 静かな部屋の中で朗々と響き渡るはいつもの来訪者であり、ただのはた迷惑な客人・ガートルード=ゴールディンの声であった。
 まったく彼女の話の切り出し方はいつも唐突であるが、いつも同じパターンである。いい加減飽きるものでないのかとその都度思うが、相手にとってはそうではないらしい。
「断る」
 そしてこれまた答える方もいつもどおりに素気なく断るは名を呼ばれた当人、ルチレイテッド・クォーツェンその人だった。尤も彼女の名前は少々呼びにくいので、大概のものは彼女をルチルと愛称で呼ぶことが圧倒的に多い。
 年の頃は十八、九ほどか。長い髪を無造作に緩く編んだ三つ編みにしてまとめてあるだけで、年頃の娘なら大概は付けているだろう髪飾りなど装飾品は見当たらない。そんな彼女の纏うものと言えばこれまた飾り気のないエプロンドレスのみとくる。
 印象深いのは彼女の鋭い瞳、髪の色、それに服に至るまですべてが灰色で統一されているところだろう。ここまで揃えているのはわざとなのだろうが、年若い娘が灰色一色に決め込んでいるというのはあまりなかろう。
 反して彼女に攻め寄るガートルードは年は恐らくルチルよりも多少下だろうか、顔つきは幾分幼く見える。名前も豪奢だが、彼女のすべてが派手であった。
 幾重にも巻かれた巻き毛が美しい金髪に深緑の瞳、少女のすべてに映えるようあつらえただろう深緑のドレスには複雑な金の縫い取りで刺繍がされており、それがより一層彼女を華やかに見せていた。
 尤もそれらのすべてがルチルには鬱陶しいことこの上ないのだが。
 火花を散らす少女と受け流す少女、対峙する二人はまさに正反対そのもの、これ以上ないほど対照的ではある。
「灰色のルチル! あなたはいつもそうやってわたくしのことを小馬鹿にして! 正式な魔導協会の紹介書があるわたくしに随分な態度ではありませんこと?」
 そう言うとガートルードはどこからか取り出した羊皮紙を一枚ルチルに突き付ける。内容は至極簡単なものだ。
 羊皮紙に書かれているのは魔術文字ではあるのでごく普通の人間には一切読めないが、魔術に関わるものであればさほど難しくない内容となっている。
 曰く、『汝、深緑のガートルード、灰色のルチルと対峙することを認めん。魔導協会』と。
 魔術師というものはその強大なる能力故にやたらに勝負事をせぬようにと言う毅然とした戒律がある。とはいえ優劣を付けたがるものは何処にでもいるわけであり、それによるトラブルは数え切れない。時に生き死にに関わるほどのものや、国を揺るがす事態を招いた深刻なものも過去には幾つかあった。
 そこで二度とそのようなことが起きないようにと魔導協会としても熟慮し、決定したのが魔導対決という方法である。
 魔導師の申し出によりまず対決内容が吟味され、その結果、対決が認められた場合にのみ初めて許可が下りる。対決の場所は無論教会が指定した場所となり、教会から派遣した審判の同席が不可欠である。
 教会としても魔導師たちにあちらこちらで勝手に暴走されるよりも事態を把握できることもあり、これを徹底的に推奨した。
 お陰でこの方法を用いない魔導対決は非合法扱いとなり、これを行った魔導師の位が下がる、あるいは剥奪されることとなっているので沽券を大事にする魔導師であるが故に当然、非合法対決は忌避されるようになった。
 この取り決めによって普通に暮らす人間たちには大いに恩恵があった。何しろ道を歩いていただけで魔導師の争いに巻き込まれるなどという事態から解放されたのだ。
 しかしこれには最大最悪の欠点がある、挑まれたものは必ず答えよと言う暗黙のルールの存在だ。
 まったく有り難くもない話だとルチルは思う。それを免罪符に誰もが自分のところにわんさかやってくるのだからたまらない。
「深緑のガートルード嬢? 何度言わせれば気がすむのか知らないが、そんなものは今の私には関係ない。貴殿はお忘れのようだが、今の私は単なる薬師(くすし)であってだな…」
 何百回口にしたか分からない理の文句を今日もまたルチルは口にする。
 そう、今のルチルが生業とするのは魔術師ではなく薬屋の看板を家に掲げる立派な薬師である。残念ながらお客の入りはこの手の闖入者達がいるおかげで芳しくはないが。
「ええい、お黙りなさい、ルチレイテッド・クォーツェン! この不埒ものが!!」
 明らかにルチルの物言いが気に入らないのだろう、ガートルードはまさにキレていた。
 ああ、何時になったら終わるのやらとルチルは独りごちる。ガートルードはこうしてほぼ毎日やって来て、ほぼ毎日同じ遣り取りを繰り返すのだからたまらない。
「ガートルード? 私もそこまで暇じゃないのだよ。用がそれだけなら早々にお帰り願おう」
 本当にいつものことながら疲れるとルチルは思う。こんな風に手前勝手に挑んでくるものは多いのだけれど、ことガートルード=ゴールディンはしつこい。
 しかしながらそもそもの原因はとっくにルチルが返還しているはずの魔術師の称号であり、それが次々と厄介ごとを呼び寄せてくるのだ。
 ルチルは外見は確かにうら若きかつ地味な乙女だが、ガートルードの言うとおりに間違いなく魔術師の称号を持っている。
 先ほどガートルードがルチルのことを『灰色のルチル』と呼んだのがそれに当たるが、本人は故あってその称号を自ら放棄している状態なのだ。
 が、世間ではそんなことはお構いなしらしく、ガートルードのような挑戦者がしこたまやってくる。その中の筆頭が無論ガートルードなわけであるが。
 彼女ら挑戦者たちが灰色のルチルに(こだわ)るその理由のひとつは彼女自身が持つ血筋が深く関わっているせいもある。
「捨てた、辞めたの戯言ばかり仰有ってるわりに魔導協会からお名前が消えることは! だいたいそう思うのならば潔く称号をお捨てなさいな!」
「そんなのとっくにやっているが、義母(はは)に堰き止められているって言ってるだろう! 何度言えば納得するんだ?」
 挑戦者の連中はルチルが幾ら放棄しようとも出来ないというのに、誰一人としてそれを理解しようとはしない。
 何しろどんなに魔術師を辞めたくてもルチルの場合、義母が魔導協会の有力者なものだから一向に受け入れられはしない、というより跳ね付けられている。
 ルチルの義母マルガレーテ=クォーツェン、称号は深紅のメグ、はルチルの実父アイオライト=クォーツェンの二度目の妻にあたり、優秀な魔術師だ。尤も本人は自分はむしろ奇術師なのよと笑うのだが、あながちそれも間違いではない。幼い頃にはよく彼女の行う奇術を見せて貰ったものだが、それは素晴らしいものだったと記憶にある。
 メグは義理とはいえ父が亡くなってもルチルを実の娘のように可愛がってくれる有り難い存在なのだが、その可愛い娘のたっての頼みは一向に聞いてはくれない。
 義母曰く、魔導師を辞めて解決することは何もないとのこと。
 でもね、お義母様(マーマ)、この手の連中に悩まされなくなるだけ御釣りが来ると思うのだけど。
 が、そう言っても義母はにっこりと笑うだけで、ルチルの望みはあっさり蹴られてしまう。
 故に悩みは尽きぬ。
「つまりあなたがどう言おうともあなたはまだ魔術師なのですから、私の挑戦を受けるべきと言うことですわね」
 ガートルードが勝ち誇ったように言うが、ルチルには受ける意志などは毛頭ない。
 もう限界だと重い腰を上げ、ガートルードを玄関扉まで追いやり、問答無用の力業で外へ向かわせた。当然相手は逆らおうとするが、ルチルはこれ以上は耐えられなかったので容赦はなしない。
「とにかく! 勝負する気は私には一切ない。だからこれ以上、今の私の仕事の邪魔をするのは止めてくれ」
 そう言うととりつく島も与えぬまま扉を閉め、幾重にも鍵をかけた。相手が魔導師である以上、こんな鍵は意味をなさないのだが、教会の規定によってそれは禁止されているためガートルードもそれ以上のことは出来ない。せいぜい扉を叩き続けることくらいだ。
 それでも漸く家の中では一人になることが出来てホッとする。予想どおり、まだ扉を叩く音が五月蝿いが、そのうち治まるだろう。一時間か、二時間後くらいにはだが。
 ああ、この分ではまた午前中の来客は逃げてしまっただろうなあ。
 まったくもって商売あがったりだ。
 ルチルは頭を抱えつつ、深くため息をつく。

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プロローグ

第一章 父からの贈り物

それは太陽の贈り物。
かつてそう呼ばれた秘宝があった。
今はそれを識るものは少なく、かつ求めるものは雲をも掴むというほどに難しく。
それほどに遠い伝説にしか過ぎぬお話。
けれどももしかしたら今そこにあるかもしれないお話。
そんなお話に暫しお付き合いをお願いできましょうや。

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